平尾昌宏『日本語からの哲学:なぜ〈です・ます〉で論文を書いてはならないのか?』を夢中で読む。
前著2冊にはなかった高揚感。筆者の思考のプロセスを示していく書き方は、さながらドキュメンタリーのよう。
p263の最後の問いには(念のために第20章を幾度か読み返してから)「はい」と答えました(〈です・ます体A〉)。
「ノート5」の〈である体〉と〈です・ます体〉の混用について、まさに思い浮かべたのが小林秀雄 『私の人生観』だった。
〈である体〉で沈思黙考し、〈です・ます体〉で読者に向き合う。
ただし柳父章『日本語をどう書くか』で触れられていたとは思いもよらず、あわてて当該部分を読み返した。
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